孤独と孤高の狭間で~男の自画像

40代の男。責任と孤独感ばかりが増える年代の、 仕事や家庭の中での出来事、世の中に対して言いたい 「独り言」。

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河上彦斎

歴史が好きだ。特に幕末の話は読んでいて考えさせ
られるものがある。誰もが憂国の志士であり、真面目に
国の事を思い、命をなげうった時代である。
選挙ひとつとっても、「自分には関係ない」と投票にも
いかず、斜めから世間を見ている現代人との差はいかが
なものか?

一昨年話題になった大河ドラマ「新選組!」も幕末に
駆け抜けた尊攘佐幕派であった。
同じ目的を持つ日本人同士が、倒幕か佐幕かで血を
流した悲しくも勇ましい話であると理解している。


最初に、紹介したいのが“河上彦斎”(かわかみげんさい)
である。昔、少年ジャンプというマンガに連載されていた
「るろうに剣心」のモデルとしても有名。

幕末に恐れられた人斬り達、特に四天王と呼ばれる4人の
剣客が佐幕派のみならず倒幕派からも恐れられた。
土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛、中村半次郎、そして
河上彦斎である。

天保5年11月25日(1834年12月25日)、小森貞助の
四男として熊本県の城下に生まれる。10歳で父と、16歳で
母と死別し河上源兵衛の養子となる。
同時に細川藩別宅の掃除坊主となり、剃髪。

人斬りの多くは貧しく、身分も低く、教養がないのが特徴
であるが、彼は異例で文字、皇学、兵法、儒学、国学を
細川藩屈指の人物を師と仰ぎ学んだ。
(ちなみに兵法の師は、新選組が池田屋事件で討ち取った
宮部鼎蔵である)
中でも皇学は、後に熊本新風連の宗師と仰がれる“林桜円”
の門に入り天皇絶対主義を実につけた。
武術は教わっておらず独学であったといい、片手打ちを
得意としていた。

当時、日本最高の知識人と呼び名の高い“佐久間象山”
(勝海舟の妹を妻とする…だったと思う)を斬ったのは
彼である。
四大人斬り、人斬り四天王などと呼ばれながら、彦斎の
暗殺はこの象山しか判明していない。

明治維新後、彦斎の目指した天皇親政とは名ばかりの
三条実美ら数名の公家と薩長による“薩長幕府”に
深い絶望を味わった。これは昨日までの同士の裏切り
に他ならなかった。
彦斎の反政府的動向に肝を冷やした肥後藩丁は、彦斎
を鶴崎の駐屯地に送り厄介払いをした。
そこで彦際は有終館という道場を作り、駐屯地の兵の
文武の修行をさせていた。
謀反の企てというあらぬ疑いをかけられ、東京・小伝馬
町に護送後、西郷隆盛の奔走虚しく、木戸孝允(桂小五
郎)の命にて処刑された。

自ら剣を置いた人斬りも彦斎のみである。
幕末の動乱期から明治維新後まで、一貫して憂国の志士
であった新政府側の人間の数少ないひとりだと思える。
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  1. 2005/09/16(金) 02:18:54|
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